毎日の食事の用意、大変ですよね。
いつもお疲れさまです。
頑張って作っても食べてもらえない。
一品だけだと足りないだろうから、たくさん作るけどもうへとへと…。
もう料理なんてしたくない。
そんな風に思うことも多いと思います。
作るのが面倒だったら、お惣菜で済ますことも出来る時代です。
でもそれを続けてしまうのは身体にも良くないと分かっているし、本当だったら家族にちゃんとしたものを食べさせてあげたい。
だけどその気力が湧かない。
ちゃんとした食事を用意したいけど、それができないというところにストレスの原因があるのではないかと思います。
そんな方におすすめしたいのが、料理研究家である土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』という本です。
食事の用意がストレスに感じているという方は、きっとこの本を読むことで心が軽くなると思います。
ちなみに僕は最初「いっしるいっさい」と読んでいましたが、正しくは「いちじゅういっさい」のようです。
■なぜ食事の用意がストレスの原因になってしまうのか
食事の用意がストレスになってしまう原因はいくつかあると思いますが、主に、家族の事を想うからこそのプレッシャーと、テレビやSNS等のメディアの影響によるものが大きいのではないかと思います。
✓家族の事を大事に思うからこそのプレッシャー
子育て中のお父さんお母さんだと、子供が食べそうなものを考えて考えて、一生懸命作ったけど食べてもらえない。
小さい子がご飯をしっかり食べないことは分かっていても、そんな毎日が続けば食事の用意もだんだん嫌になってきますよね。
他にも、せっかく作った料理なのに、家族から「またこれかー」などと言われたり、出した料理にすぐ調味料を足されて嫌な思いをすることもあると思います。
うちの父親も濃い味が好きなので、すぐに醤油を掛けたりして、母親を不機嫌にさせることもありました。
作った方からすると「ちゃんと味付けしとるわっ!」って感じですよね。
また、「昨日は魚だったから今日はお肉にしよう」とか「肉料理のほかにも、野菜のおかずも作らなきゃ」とか、家族の健康を守るために、栄養面についてもちゃんと気にしなければいけませんよね。
そんなことを毎日毎日考えていると突然プツンと糸が切れたようにやる気が無くなってしまうこともありますよね。
そういった家族の事を大事に思うからこそのプレッシャーにより、食事の用意がストレスになってしまうことも多いのではないかと思います。
✓メディアの影響
テレビをつけると、毎日のようにおいしそうな料理の番組が流れていたり、時短レシピや簡単レシピについての紹介がされています。
短時間で手際よく、たくさんの料理を作れることが評価されるような番組も多いですよね。
SNSを見てみると、綺麗に盛り付けられた料理の写真ばかりが目に飛び込んできて、ちゃんと食事の用意が出来ない自分と比べてしまい、「他の人はこんなに上手に作っているのに、私は全然出来ていない・・・。」と自己嫌悪に陥るようなこともあると思います。
みんながみんなそうじゃないとはわかっていても、どうしても気にしてしまう方も多いと思います。
余裕がある人は何も負担に感じることなく、何品も作って、綺麗に並べて、写真を取って、SNSにアップすることまで出来るのでしょう。
だけどそういったものを見過ぎると、手抜きをしている自分が、何か悪いことをしているような気持ちになってしまうという方もいるのではないでしょうか。
そのように、メディアから入ってくる情報の影響は、非常に大きいものだと思います。
■「食事の用意がストレス…」という方に読んでほしい『一汁一菜でよいという提案』
そんな風に毎日の食事の用意がストレスになってしまっている方に読んでほしいのが、土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』という本です。
この本を読むと、苦痛に感じていた料理に対する気持ちが変わるのではないかと思います。
「料理は難しい」「食事の用意が面倒くさい」「献立が思いつかない」
そんな悩みをすべて解決してくれる本だと思います。
印象に残った部分を所々で引用しながら、この本についての紹介をしたいと思います。
✓土井善晴先生について
ご存知の方も多いと思いますが、土井先生は大阪出身の料理研究家です。
僕が初めて知ったのはNHKの「きょうの料理」でした。
何年か前に偶然テレビで見かけて、独特の優しい関西弁と、料理を作るときに丁寧に食材を扱う様子がとても印象的でそれ以来ひそかなファンでした。
たしかその時に見た「きょうの料理」のメニューはすき焼きで、砂糖と醤油、少しの酒だけで味を付けながら、アナウンサー(アシスタント?)の方に「どうぞどうぞ」と振る舞っていたのを覚えています。
「おいしそう、料理しながら自分で食べたくならないのかなー」とか思いながら見ていました。(笑)
✓レシピ本ではない
最初本屋さんで見かけたときは、料理の本なのでレシピ本なのかと思っていました。
でも少し手に取って読んでみると、食事や料理についての考え方などが書かれていて、思っていた内容とはだいぶ違うなぁという印象でした。
実は立ち読みしたのは数年前。ずっと気になっていた本ではありましたが、購入したのはつい最近でした。
一汁一菜のメニューや、お米の炊き方、だしの取り方なども書かれてはいますが、「料理とは何なのか」を考えさせられる内容になっていると思います。
■『一汁一菜でよいという提案』の中で印象に残った部分
この本を読んでいて、印象に残った部分を抜粋しながらいくつか紹介していきます。
✓家庭料理はおいしくなくてもいい
土井先生の事をネットで色々と調べていた時に、ある動画で「料理をおいしく作ろうと思わないこと」と話しているのが印象的でした。
料理はおいしく出来なきゃいけない。
まずくなったらその料理は失敗。
そんな風に思っていた自分にとって、この言葉はある意味衝撃でした。
この本の中にも「家庭料理はおいしくなくてもいい」ということについて書かれています。
「おいしい」と一言で言っても色々な「おいしい」がありますよね。
例えば、お寿司や焼き肉を食べたときの「おいしい」と、切り干し大根やひじきの煮物、味噌汁を飲んだ時の「おいしい」はなんとなく違うというのがわかるでしょうか。
分かりやすく表現すると、前者のは食べた瞬間に「うまっ!」と言いたくなるようなおいしさで、後者はどこかほっとするような「おいしい~」というようなおいしさです。
後者のおいしさについては
食べ終わってから感じる、心地よさのような感覚、身体がきれいになったような気がする・・・というあれです。
『一汁一菜でよいという提案』P18
と書かれています。
身体に良いもの食べてるなぁ~と思うことってありますよね。
一汁一菜のような身体が求めるお料理は、作り手の都合でおいしくならないことがあります。おいしい・おいしくないも、その時次第でよいのです。そう思ってください。必要以上に味を気にして、喜んだり、悲しんだりしなくてもいい。どうでもよいというのではありませんが、どちらもありますから自分自身でその変化を感じていればよいのです。
『一汁一菜でよいという提案』p20
なんかこの部分を読んでいると、すごく気持ちが楽になりませんか?
料理を作るとなると「美味しいものを作らなきゃ!」って、まずそのことを考えてしまうと思います。
でもそうじゃないんですね。
おいしくならなかったらならなかったで、「今日はいつもと味が違うね」とか「忙しかったの?」とか「ちょっとこの食材のこの味付けは合わなかったね~」とか、そんな風に家族で話したりすることに意味があるんだと思います。
料理に失敗は無いんですね。
家庭料理が、いつもいつもごちそうである必要も、いつもいつもおいしい必要もないのです。~~~~~~~~~~上手でも下手でもとにかく出来ることを一生懸命することがいちばんです。
『一汁一菜でよいという提案』P89
✓「作る」ことに意味がある
土井先生のお宅は、自宅兼仕事場だったそうです。
そして撮影等が終わると、作った料理はその場で食べてしまうか、スタッフの方に全て持ち帰ってもらっていたとのこと。
奥様は撮影のために作った料理を子どもに食べさせることはせず、必ず、子どもの「ただいま」を聞いてから作り上げていたといいます。
土井先生自身は「忙しいんだから残ったものをそのまま食べさせればいい」と思っていたようですが、おそらく奥様は「料理を作る」ということに意味があると考えていたのですね。
妻がその場で娘のために作る料理の音を、娘は制服を着替えるあいだに聞いたでしょう。匂いを嗅いだでしょう。母親が台所で料理をする気配を感じているのです。まさに料理は愛情です。どれだけ家に帰ってきてホッとしていることでしょうか。どれだけ安心できたことでしょうか。愛されていることを全身で感じているのです。
『一汁一菜でよいという提案』P42
この部分読んでたらなんだか泣けてきます。
僕も子供の時は、学校から帰ると「今日はハンバーグだな」とか「カレーだ!」とか匂いで分かったりしたものです。そのような経験がある方は多いのではないでしょうか。
そんな昔のことを思い出してしまいました。
おいしい・おいしくないなんか関係なく、「料理を作る」ことに意味があるということについて考えさせられる部分でした。
✓何品も作る必要はない
一汁一菜というのは、ご飯・味噌汁・漬物(=汁飯香)を基本にした食事の型の事を言います。
日本人は昔からこれを食事の基本にしており、現代の日本人もそのまま応用すればよいということです。
そのため「今晩のおかずは何にしよう」と悩む必要がなくなります。
ご飯と味噌汁を作り、味噌汁を具だくさんにすればそれは十分におかずを兼ねるものとなります。
『一汁一菜でよいという提案』P50
本当にそう考えると、わざわざおかずを考える必要がなくなりますよね。
毎日具だくさんの味噌汁を作ればそれでOK。
すごく簡単です。
「汁飯香」の「香」は漬物。これはご飯を食べるための塩気だそうで、必ずしもなくていいとのこと。
何もなければ、味噌はご飯のいちばんのおかずですから、ご飯にも味噌をつけて食べればよいのです。
『一汁一菜でよいという提案』P51
これ、試してみました。ご飯に味噌をつけて食べるの。
これがね、ものすごくおいしいのです。
味噌なんてキュウリにしか付けたことなかったのですが、ご飯に付けて食べるとこんなにおいしいのかとびっくりしました。
味噌で食べるためにご飯をおかわりしちゃうこともあるくらいおいしいので試してみてほしいです。
✓おかずは余裕があるときに
食事を一汁一菜にすると献立に悩むことが少なくなります。
それが当たり前になると、時々、気持ちや時間に余裕のある時に「他にも何か作ろうかな」と思う時があるはずです。
味噌汁以外のおかずを作るのはそんなときだけで良いといいます。
面倒だなと思いながら作るおかずと、作りたいときに作るおかず。
やっぱり気持ちが前向きな時の方が、作るのも楽しいだろうし、「おいしく食べてくれるかな」なんて考えながら作ることも出来るのではないかと思います。
そして、いつもはご飯と味噌汁が基本の食卓に、時々、ハンバーグや焼き魚などが出てくることによって、「今日はハンバーグもある!」「焼き魚だ!」と、家族が喜んでくれるようになるんですね。
いつもいつも、いわゆる「メインディッシュ」を考える必要がないので、料理がとても楽になると思います。
■まとめ:人間の暮らしで一番大切なことは「一生懸命生活すること」
いかがだったでしょうか。
今回は、食事の用意がストレスになってしまっている方に向けて、『一汁一菜でよいという提案』の内容を所々引用しながら、本の紹介をさせていただきました。
最初から最後まで土井先生の優しさが伝わってくる本でした。
テレビや動画をご覧になったことがある方は分かると思いますが、本を読んでいるとあの優しい口調で脳内再生されるような錯覚を覚えます。(笑)
毎日食事の用意を頑張っている方だけでなく、夕食のおかずが多くないと満足しない方や、
出来合いのもので済ませてしまっている一人暮らしの学生さんなど、本当に色々な人に読んでほしい本だと思いました。
僕ら夫婦と同じように子育て中の方で、毎日毎日大変な思いをしながら生活している方も、とても心が軽くなると思います。
人間の暮らしでいちばん大切なことは、「一生懸命生活すること」です。料理の上手・下手、器用・不器用、要領の良さでも悪さでもないと思います。一生懸命したことはいちばん純粋なことです。~~~~~~親が一生懸命生活していることが、教育の本質であり、たとえそのときは親の気持ちを理解できないことがあっても、いずれ子供たちは経験をさらに重ねて、大人になればきっとわかるようになります。
『一汁一菜でよいという提案』P85
毎日一生懸命、そして丁寧に生活していきたいと思わされる本でした。
ぜひ読んでみてください。
コメント